大判例

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神戸地方裁判所 昭和56年(ワ)762号 判決 1984年9月27日

原告

中谷伸行

被告

右代表者法務大臣

住栄作

右訴訟代理人

滝澤功治

外二名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一次の事実は当事者間に争いがない。

(一)  原告の海上自衛隊における勤務歴

1  原告は、昭和三三年四月一五日、海上自衛隊に同隊生徒、いわゆる「少年自衛隊員」として入隊し、舞鶴教育隊及び江田島の第一術科学校において、四年間の教育を修了する直前の昭和三七年三月二六日、海上自衛隊航空学生試験に合格し、第九期航空学生五三名中の一員として呉教育隊に入隊した。

2  呉教育隊において、約三箇月間の航空学生前期基礎課程を修了し、同年七月四日、航空学生後期基礎課程履修のため、千葉県館山市所在の第二二一教育航空隊に転属した。

3  昭和三八年一〇月五日右課程を修了し、操縦英語課程履修のため、奈良の航空自衛隊幹部候補生学校に委託学生として入校した。

4  昭和三九年一月三〇日、右操縦英語課程修了に伴い、初級練習機による操縦教育を受けるため、防府の航空自衛隊第一二飛行教育団に委託学生として入隊したが、同教育中の昭和三九年一〇月二三日、「飛行適性不良」のため、航空学生ひ免となり、同日付、大阪基地隊に転任となつた。

5  昭和三九年一一月一日、三等海曹に昇任したが、大阪基地隊に所属中の昭和四〇年二月四日から同年八月一三日までの間、自衛隊法第四三条第一号の規定により休職し、そして、同年九月四日依願退職した。

(二)  原告の在職中の傷病(入院療養)歴

原告は、1 昭和三八年三月二五日から同年五月一九日までの間、十二指腸周囲炎により、2 昭和三八年七月一五日から同年九月二七日までの間、十二指腸潰瘍により、3 昭和三九年四月四日から同年六月二九日までの間、慢性胃炎により、4 昭和三九年一一月一六日から昭和四〇年八月一三日までの間、慢性胃炎、胃潰瘍によりそれぞれ入院している。

(三)  航空学生基礎課程

原告は、前記のとおり昭和三七年七月四日から昭和三八年一〇月五日までの間、館山の第二二一教育隊において、航空学生後期基礎課程の履修を受けていたものであるが、右航空学生基礎課程の目的は、海上自衛官として必要な知識及ぎ技能の基礎的事項を修得させるとともに、徳操及び教養を高め、気力及び体力を練成し、将来、飛行職域の幹部自衛官となり得る素地を育成することにある。

二原告が自衛官在職中に十二指腸潰瘍、慢性胃炎等に罹患したことは前記のとおりであり、右症状のその後の推移はさておき、原告が前記第二二一教育航空隊に所属中、同隊における体育訓練の実施状況、航空学生の健康管理等に関し、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、これに反する<証拠>は措信しない。

1  第二二一教育航空隊の編成等

第二二一教育航空隊は、司令、副長の下に航空隊本部教育隊及び学生隊をもつて編成されていた。

教育隊は、航空学生に対する航空機の操縦に必要な基礎教育を行うことを任務とし、教育隊長の下に各課目別に教官が配置されている。

学生隊は、航空学生の身上、規律及び服務に関する業務を行うことを任務とし、学生隊長の下に、航空学生の各期別ごとに主任指導官及び指導官が置かれ、学生隊長の命を受けて、航空学生を直接指導監督する。

原告ら第九期航空学生の在隊時の指導官等は、学生隊長増崎達矢(当時、三等海佐)、指導官、兼教官早福良一(当時、二等海尉)であつた(以上の事実は当事者間に争いがない)。

2  水泳訓練の実施状況

原告ら第九期航空学生が、第二二一教育航空隊に転属となり、入隊式の行われた昭和三七年七月九日から水泳プールにおいて同学生の水泳能力検定を実施し、一定の能力以上を有すると認められる者について、以後同年八月上旬までの間、土、日曜日及び風波の高い日を除く、毎日午後二時間(海浜への往復、準備、終末各体操、休憩の時間を含む、ただし、当初は三、四〇分)、千葉県館山湾における水泳訓練が、同月七日ごろ同湾で3.6キロの遠泳が、同月八日から同月一六日までの夏休みの後、同月一七日から同月二五日ごろまでの間、土、日曜日を除く毎日約二時間(準備、終末各体操、休憩の時間を含む)、同隊のプールにおける水泳訓練が各実施されていた。

水泳は、海上自衛官として習得すべき必須技能であり、特に、将来、航空機のとう乗員となる航空学生については、心身の鍛練と不測の事態に備えた救命生存のため、主として遠泳能力の向上を目指して実施されるものであり、原告は、海上自衛隊生徒として四年間の在隊中、遠泳能力は相当程度に向上しており、当初から本訓練に参加していた。

3  別課「体育」の実施状況

第二二一教育航空隊における航空学生の日課は、午前六時(冬期は午前六時三〇分)の起床にはじまり、午前中四時間午後三時間の正課(授業)が行われ、正課終了後の午後四時一〇分から、同五時三〇分までの間「別課」が実施された。別課は訓練の過程に従い徐々に右時間帯一杯使われ、とくに夏季の水曜日は日没前の午後六時ごろまで行われた。

別課は、正課の補習として実施されるもので、その実施種目及び実施日は、次のように定められていた。

体育別課

種目 ラグビー、サッカー、剣道及び柔道

実施日 毎週月、火、木、金曜日

自選別課

種目 吟詠、ブラスバンド、英会話等主として文化活動

実施日 毎週水曜日

右のうち、体育別課は、上空の特異な環境条件下において、航空機の操術等に従事することとなる航空学生の基礎体力の向上、不測の事態に冷静沈着に対処し得るための剛健な精神力のかん養を目的として実施されるものであつて、前記種目のうち、原則として学生の選択する種目によつて種目別指導官の監督指導の下に実施された。

もつとも、原告が第二二一教育航空隊に転属した当時は、前期の航空学生(第八期航空学生)との間には、体力及び練度に相当の開きがあり、原告ら航空学生をいきなり各種目別に組み入れて前期の学生と共に訓練を実施させることには無理があるとみられるところから、第二二一教育航空隊司令の命により、学生隊長であつた前記増崎達矢の指揮監督の下に、原告ら学生の指導官兼体育教官であつた前記早福良一が、直接指導に当たり、原告ら航空学生全員を一体として徐々に基礎体力を向上させるため、当初の一か月間、持久走を主体とした筋力トレーニングが「特別訓練」として実施されていた。

この特別訓練は、終期に向けて次第に強化され、原告ら航空学生の体力は向上し、所期の目的を達したので、二か月目から学生の選択による種目別体育別課に切り替えられた。

なお、江田島時代ラグビーをしていた原告は、右別課につき自主的にラグビーを選択した。

4  別課終了後の日課基準は、入浴の後午後六時に夕食、午後七時から同九時まで自習時間、午後九時三〇分巡検、午後一〇時消燈となつている。

夏季の水曜日は前記のとおり別課時間を延長することがあつたが、右のとおり日課基準が定律しているので、別課時間を無秩序かつ大幅に延長されることはなかつた。

5  休業日課中の練習

土曜日の午後及び日曜日は、原則として休業日課であり、指導官等の職員も当直勤務につく以外は原則として出勤しないので、訓練は実施されていなかつたが、体育別課の種目によつては、対外との練習試合、他部隊との競技等に備えて指導官等の助言又は、学生の自発的意思により、強化練習が行われることがあり、原告らラグビー部員に対しては、同年一〇月ごろの毎日曜日、海上自衛隊ラグビー全国大会に備えて合宿訓練が行われた。

6  航空学生の健康管理

(一)  定期健康診断等

航空学生に対しては、定期健康診断が年一回実施されるだけであるが、部隊内に医務室があつて、航空学生は身体に異常を認めた場合には、診断を受けるべく、その結果、異常が認められる者に対しては、医官から症状に応じた指示区分がなされ、指導官に報告されることになつていた。

また、航空学生は、健康体が服務の適格要件であることから、右の定期健康診断のほか、より精密な「航空身体検査」が、再三実施されていた。

(二)  日常の健康管理

訓練の初期においては、一般に疲労感から食欲が減退するので、指導官は学生の喫食状況を監督し、また、胃腸障害を起こさせないため、空腹状態で冷菓、冷水の飲食を慎むよう学生に対し常に注意を換起していた。

一方、航空学生に対しては、その遵守すべきものとされた学生服務心得において、学生は常に健康に留意し、いやしくも自己の不注意によつて教育訓練に支障を招くようなことがあつてはならず、進んで体育を行い、体力の増進に努めなければならないものと定められていた。

三原告が航空学生として第二二一教育航空隊に所属していた当時の同隊における水泳訓練、別課訓練の実施状況は前記のとおりである。

水泳訓練のあと引き続き別課訓練を行なわれている点については、前記認定事実によれば、同教育隊は航空学生に対し、当初の時期に特別訓練を実施し、その後の別課訓練も訓練の内容に従つて徐々に時間帯(一時間二〇分)一杯使われ、その時間は夏季の水曜日午後六時ごろまで延長されることがあつても、それ以後に及ぶことがないなど航空学生の体力の限界を超えないよう配慮されていることが明らかであつて、スケジュール自体には無理がないものである。

水泳訓練、別課のラグビー訓練、そのいずれも疲労度の強いスポーツであり、前記訓練の実施は、当初はとにかくその後は一般学生、社会人の体育と比較した場合、相当厳しいものであつたであろうことは、これを推察するに難くはないけれども、もともと、航空学生後期基礎課程の目的は、前記のとおり、海上自衛官として必要な知識及び技能の基礎的事項を修得させるとともに徳操及び教養を高め、気力及び体力を練成し、将来、飛行職域の幹部自衛官となり得る素地を育成することにあるから、前記各訓練が相当厳しいものであつても、それは右航空学生基礎課程の右目的を達成するために、真にやむを得ないものといわなければならない。

もとより航空学生に対して実施する訓練は、同学生らの体力の限界を超えるものであつてはならないが、右体力の限界を超えていたという原告の主張事実については、当裁判所にたやすく措信しない原告本人尋問の結果において、ほかにこれを確認するに足る証拠はない。

四また、原告は、増崎らにおいて航空学生に対し「少々のことでは医師の診察を受けるな」と指示して健康診断を著しく軽視し、健康管理、療養義務を怠つたと主張するが、右主張に沿う原告本人尋問の結果は措信できず、ほかにこれを認めるにたる証拠はない。

もつとも、<証拠>によれば、増崎は航空学生の一部に対し、少々の筋肉痛や、軽度の捻挫等について一々受診するなと話したことが認められるけれども、<証拠>を総合すれば、増崎は、少々の筋肉痛や軽度の捻挫等は、受診するまでもなく、自分で湿布するなり、応急措置をするなどして簡単に治るものであるところから、叱咤激励の意味をこめて、右のように話したものであり、内臓疾患等の体調不調に関してまで受診を制約したものでないことが認められ、さらに、増崎らは航空学生の日常の健康に関し、喫食状況を監督し、暴飲を戒めていたこと、また、原告は第二二一教育航空隊に入隊中の昭和三八年三月二五日から同年五月一九日までの間及び同年七月一五日から同年九月二七日までの間、十二指腸潰瘍等によりいずれも継続して入院し、同隊病院から治療を受けていたことは前記のとおりである。

五ところで、夏季に激しい訓練が実施された場合、その訓練後疲労感が伴い、食欲がすすまず、このため水分を欲するものであるが、その際過度に水分をとつたり、アイスクリーム、冷たい飲料水をむやみやたらに飲食し、あるいは充分そしゃくしないで食事を摂取すれば、急性胃炎等胃腸障害を起すことのあり得ることはいうまでもない。

そして、原告が第二二一教育航空隊に入隊中罹患し、また現在も再発しているという慢性胃炎、十二指腸潰瘍は、前者については、萎縮性胃炎といわれるものであつて、その患者は急性胃炎と同様に暴飲暴食をしないよう気をつけるべく、後者については、直接的には胃液の消化作用に原因しているが、間接的にはストレスによつて起るものであり、その患者は精神の安定と食事の注意、薬物療法を続けるべきものとされていることは、公知の事実であるところ、それら疾病の特徴と弁論の全趣旨からすれば、原告の罹患した慢性胃炎、十二指腸潰瘍は、暴飲暴食と不安定な精神状態から生じたものと考えられる。

一方、前記のとおり、増崎ら指導官は、訓練の初期、航空学生の喫食状況を監督し、空腹状態での冷菓、冷水の飲食を慎むよう注意を喚起していたものであり、また航空学生はその遵守すべき学生服務心得において、常に健康に留意し、いやしくも自己の不注意によつて教育訓練に支障を招くようなことがあつてはならず、進んで体力の増進に努めなければならないものと定められていたのであるから、原告ら航空学生は、増崎らから受けた訓練が激しいものであつたとしても、その訓練後は、指導官の指導監督をまつまでもなく、適正な水分を摂取するにとどめ、食事をよくそしやくし、暴飲暴食をすることのないよう健康の保持に努めるのが、将来、飛行職域の幹部自衛官を目指す航空学生の自らの責務であつたといわなければならない。

このように考えてみると原告の前記胃腸疾病は、増崎らの指導による前記訓練により生じたというよりも、専ら、原告が前記訓練後の健康保持の責務に違背し、自らの不摂生により生じたものというべきである。

ちなみに、増崎らが指導した前記訓練は、原告ら航空学生の体力の限界を超ゆる苛酷なものでなかつたことは前認定のとおりであり、もし、右訓練が同学生に対し必然的に胃腸障害を発症、増悪させるほど極度に激しいものであつたとするならば、原告と同様の訓練を受けた九期航空学生五三名の大半が同じ胃腸障害に罹患しているはずである。しかるに、<証拠>によれば、九期航空学生のうち非上紀雄が腎孟炎を、宮崎正朗が胃潰瘍を、前山隼也が肝炎をそれぞれ第二二一教育航空隊に所属中罹患していることが認められるが、胃腸疾病のあつたのは原告を含めて四名の航空学生に過ぎなく、しかも右各証拠によれば、右三名中、訓練の過労によるものと述べているのは宮崎正朗だけであつて、それも抽象的、断片的であり、他の二名は原因不明としているものであることが認められる。

右のような事実関係のもとにおいては、増崎らの指導による前記訓練と原告の前記疾病との間には相当因果関係があつたと認めることはできない。

六以上の次第で、原告の前記疾病と増崎ら指導による訓練との間には法的な因果関係を認めることができないから、その余の点について判断するまでもなく、原告主張の安全配慮義務不履行及び国家賠償法に基づく本件損害賠償請求は理由がない。

よつて、原告の本訴請求は理由がないから、棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(広岡保)

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